やがて信濃川(大川)デルタ地帯の自然堤防上に集落が作られ、後背地の開拓が進められていった。
1577 (天正5年) 「三条闕所帳」 「三条衆給分帳」 に、『小中川村、はい潟村、太田村、ととろ木村、そまき、こ関村、八王寺、小高村』の記載がある。
1578 『上杉謙信死没』。 天正6年3月13日(1578年4月19日)  ●御館の乱 起こる。
1578 御館の乱の時、黒滝城主の村山慶綱(むらやまよしつな)は景勝勢。 景虎勢は栖吉、栃尾、三条、大面・見附・蔵王堂丸田、柏崎北条など
1580 (天正8年):上杉景勝が三条城を攻撃し落城させる。
1587 (天正14年):上杉景勝が弥彦の黒滝城(黒滝佐衛門尉)を攻めて落城させる。
1587 (天正14年):天正年間、上杉家 『直江兼続』、大河津より牧ヶ花の新規川筋(西川)を開く。
1599 (慶長4年)堀直政が三条城島ノ城主となる(5万石)。八幡宮が東大崎の八幡山から現在地へ移る。
1600 (慶長5年):信濃国の金子太郎左ェ門、150人を使い大田村を開発。
1603 (慶長8年):道金村、燕村は 「直江(兼続)工事」 前は、川向こうに在ったと言われる。
16世紀後半に描かれたと思われる↓絵図には、現在の燕地域に存在する地名がほとんど書いてある。


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●制作のために参考にさせていただいた 資料、文献、書籍、施設、人物、会合など (順不同・敬称略)
燕市立図書館、三条市立図書館、インターネット、 Wikipedia、「燕市史・資料編」、 「郷土史燕」、「県央の人物」、「新にいがた歴史紀行」、
五百川 清:(西川を創る会)、見附市まちづくり協議会、五十嵐 勝(新潟県アマチュア映像フェスティバル)、五十嵐神社(金沢光幸宮司)、
八木神社(石沢功宮司)、戸隠神社(星野和彦宮司)、「戸隠神社の七不思議(著石黒克裕)」、上越市居多神社宮司(花ヶ前盛明宮司)
「上杉謙信」花ヶ前盛明著、弥彦村「春日山専稱寺」(村山神社)住職・新潟市教育相談センター指導主事・藤澤眞璽、光照寺(丸山住職)
上越市春日山城、糸魚川市教育委員会、宝昌寺、糸魚川市徳合自治会、海蔵院(三条市吉田),西明寺(三条市如法寺),如法寺(三条市長嶺)
法圓寺(弥彦村)、福楽寺(三条市井栗)、新潟市白根図書館、新潟市月潟図書館、長野県須坂市村山町194-3黒岩巻夫(コマドウ会)
  国立歴史民俗博物館総合研究大学院教授・史学博士・井原今朝雄、米沢図書館、新潟市立歴史博物館、五十嵐勝也(ハワイ大歴史学部)
 
この 「燕の街んなかの歴史」 のページでは、単に、燕市域や地域に関する身近な話題だけに拘らず、県央に暮らす人々にとって、知識の一環として
「覚え、知っていて楽しいこと、次世代の人に伝え残したい事柄」などの場合、狭い地域の範囲や枠組みを超えて取材や編集をしていることがあります。

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