【黒滝城とは】
弥彦村麓の西約1キロ、城川の谷奥に一際高くそそり立つ(標高246m)黒滝城は、中世の動乱期に「黒滝要害」と呼ばれ、
北陸道の軍略上の要衝として重要な役割を果たし、越後守護上杉氏の要塞でした。黒滝城の規模はきわめて大きく、山上
には要害、麓集落には城主や家臣、これにともなう家族や従者の舘・根小屋を構え、近くに剣ヶ峰(標高292m)の出城を築き
要害と指呼の間で結ばれています。展望は絶好で、寺泊、野積、猿ヶ馬場など交通上の要衝と、渡部城、夏戸城など軍事戦
略上の要衝をすべて牽制できる位置にあり、天嶮に構えた一大山城でした。天神郭下段には櫻井戸と呼ばれる大井戸の跡が
あり、この井戸は豊富な清水が湧き出て、山城に欠かせない水の便でした。城岩北側に黒い岩壁から流れ落ちるのが黒滝で、
城名もこの滝に因んだものと伝えられています。築城された年代は不明ですが、1060年(康平2年)には黒鳥兵衛という武将が
「弥彦の黒滝城や桔梗城」に攻め込んだ。との、記録がありますから、11世紀には既に黒滝城が存在していたと考えられます。
1060年(康平2年)に黒鳥兵衛という武将が「弥彦の黒滝城や桔梗城」に攻め込んだ話へ
【上杉謙信の黒滝城をめぐる攻防】
戦国時代に入ると越後守護の上杉氏と守護代長尾氏との対立が激化、長森原の戦い(1510年)で、長尾為景(上杉謙信の父)が
関東管領上杉顕定を自刃に追い込み、事実上越後は守護代の長尾氏の支配下に置かれることとなります。天文5 年(1536 年)、
為景は長男晴景に家督を譲った後、まもなく没していまいます。為景の死後、これを待っていたかのように国人領主たちの叛乱が
相次ぎ、晴景はこれを抑えきれず、春日山城下の林泉寺にいた当時14 歳の弟の景虎(後の上杉謙信)を栃尾城に配置しました。
当時の黒滝城主「黒田秀忠」は三条城主長尾俊景らとともに守護代長尾晴景に謀叛を起こします。晴景は当時栃尾城に配されて
いた弟の長尾景虎(後の上杉謙信)に命じ、処分しようとしましたが守護上杉定実の取りなしにより、秀忠は丸坊主になって他国に
逃れることで、助命を赦されました。しかし、秀忠は密かに領内に戻り、黒滝城に一族を集めて、抗戦の構えをとったので、定実の
同意の上、天文15 年(1546 年)、景虎は激怒して討伐、黒田一族はことごとく自刃して滅びました。時に景虎は僅か16 歳でした。
若き日の上杉謙信(景虎)が武名を轟かせる格好の演出の場となったわけです。この場面は、大河ドラマにも度々登場しています。
                  「黒滝城跡」の詳細 → http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/17913814.html
【ネット上に掲載されていた上杉謙信の黒滝城をめぐる攻防のようす】

黒滝城攻城戦(1)
「戦うのだ!!」「戦え!!」。心に訴えながら 数珠を左手に巻いた。
すでに先発として出ていた村山与七郎が剣ヶ峰砦前に到着しており、私が陣を敷くのも時間の問題だった。



「早い。。。。」。鐘楼から砦方向に走る先発の騎馬を見て。まだ具足も整わない「秀忠」は驚いていた。
「申し上げます長尾景虎軍、本隊到着は後一刻(約二時間)ほど。。。と。。」
櫓を駆け上がってきた兵が、息切れではなく「驚愕」の早さに言葉を濁すほどだ。秀忠は空を見た。
「まだ夜も明けておらん。。。。」。 山の峰にはまだ靄が残っている。 夜を徹してココまできたのか?

「迅速」で「苛烈」。 聞き及んではいたがよもやこれほどまでとは。。。 驚きを隠せなかった。
色々と噂の多かった景虎の戦いぶりは、守護代晴景(はるかげ)とは異質の性格を持つ者だと言う事をよく表していた。

まがりなりにもまだ「身内」である黒田には、暢気に事を構えている晴景のような対応でくるか?と、ぐらいに思っていたが。
日頃から、この地に流れていた噂はたがわずだ。。。 なんと強気な「奴」だ。
息を吐き声をあげた。 「後一刻!!城内を固めよ!!」。 一刻で出来ることなど知れている。



日の出を見る前に私は到着した。 眼前に広がる黒滝は大きな山城だった。すでに何本かの旗が立てられている。
 「戦(いくさ)」をするつもりなのか? そんな事よりとにかく「事実」を知りたい。
これで何事もなく「開城」してくれれば、最悪の事態は免れるし、件(くだん)の「手紙」の事を問い正しすればいい。

とにかく。。。 「使者を送れ!!城を開けるように黒田に告げろ!!」。
馬廻り衆,秋山史郎(あきやましろう)は。私の言葉を聞くとすぐに馬に乗り城門に向かって走っていった。

今回は、実乃を栃尾の後詰めに残し、先発に村山与七郎(むらやまよしちろう)の騎馬隊、馬廻り、
安田長秀(やすだながひで)や弥太郎とその部下たち、宇佐見そして栃尾衆という編成だ。頼れる男を城に残し憂いなく戦うために。

事は深刻だ。すぐにでも城を空けてくれることを期待もしていた。「寵臣」とまで呼ばれた男がこんな事をしてほしくない。
もし、そうだとしても、その「真意」を知りたい「何故か?」と。。。。。。返事を待った。床机に座りじっと城門を見た。

秋山は山下の門前に着き、大きな声を上げて言った。
 「それがし!長尾景虎が臣下,秋山史郎と申す!。 城主,黒田秀忠(くろだひでただ)殿に目通りしたい!!開門!!開門!!」。
明確に朝を終わらす史郎の声は高く響き山に鎮座する城の中にまで大きく聞こえた事だろう。

しかし、 門はあかず、 不気味な静けさだけが「無言」の返答をする。私の心がざらつく。「黒い意識」が危険を感じさせる。
嫌な静けさだ。沈黙を守る意味はなんだ?。 史郎は門前で馬を何度か行き来させ。 
もう一度同じ声明を発したが、やはり「無言」という返答が戻った。 なんだ。。。。ジリジリとした焦り。手のひらに汗。おかしい。。
旗まで立てて「戦」を待っていたハズだろう?。 その沈黙はどういう了見か?。何か策しているのか?。いやな「間」だ。。。

十分の時を待った。 「秋山を退かせろ。。」。  私はすぐ横で待機する安田長秀(やすだながひで)に指示した。
 その瞬間「嫌な予感」は的中した。 赤い軌跡を描いた火矢が一斉に城壁を越え飛び出した。

「秋山!!」。 床机を蹴倒し私は叫んだ。 伸ばした手の先あったのは「無情」。
あっという間に矢の雨に飲まれ馬ごと崩れる姿が目に映った。 「秋山は!!!」。。。。

安田は馬に乗り、私に「助けに」・・・その言葉を大きく手を振り遮った。 「弓隊、前!!!前進!!!」

何を待っていたのだ?。。何を悠長な事をしていたのか? 私を「逆賊」と名指しした者に何を求めていたのか?

あれほど冷静さを保とうとしていた自分に腹が立った。 なんたる失態!! よくも よくも

私の「前進」の声に合わせ栃尾衆の怒号の激が響き渡る。 貝と太鼓が大きく鳴り響く。 「許さん!!!」
 眼前に青い野に広がった火矢の炎でさらに心は燃える。
「やたろー!!一隊をつれて搦手門(からめてもん)から山を下る門すべてに火をかけよ!!」
卑怯者め!。 使者の用向きを無視したあげく、突然,矢を射かけるなど言語道断だ。
「迅速に!!山ごと全部燃やしてやる!!」。 再び手を振り上げた。
 「弓隊を先頭にありったけの火を投げ込め!!。 容赦はしない!!」

指揮の後、睨む目で城の上の方を見た。 「そこにいるのか。。。秀忠。。」。 身体を大きく震わせた。怒りは頂点に達した




 「景虎方一斉に火矢を放ちました!!」。  最初の攻撃後、瞬く間の応酬を城兵は秀忠に告げた。。  「。。。」
櫓の格子から下の様子を見ていた黒田は顎をなでながら考えていた。 なんと強気な。。。

景虎にだって、、、黒田が「長尾」の寵臣であった事。 そして今も「表向き」そうである事は十分にわかっているハズだ。
それを、 なんの書状通達も無しで、兵を率い、ココで質疑しようとしていたのか?

もちろん、今となっては城内に囲った、大量の「浪人」についてなんの言い訳も立たないし、
「猫又」の件については、宇佐見によってその「真意」も暴露されている事だろう。

どちらにしても「言い訳」が通用する相手ではないようだ。 晴景なら丸め込めたとしても「景虎」には通じる事はないようだ。

格子から目を細め,隊の動きを追ってみた。 「苛烈」であるという言葉に行動が伴っている。景虎軍の兵はぴたりと統率がとれている。
 「強いな。。。」。 いくら「籠城」をしたとて、掻き集めたあぶれ者たちと景虎軍の兵では「士気」の高さが違う。
ましてや「負け無しの将」が率いる軍団だ。 時間の問題か? 秀忠は腕組みをしながら「最悪」を思い浮かべたが。。。
それでも余裕の笑みもあった。 いや まだだ。 ココまでご足労してもらったのだ。土産に「首」でも置いていってもらわねばな。。。。

やはり、為景の「予見」したとおりの「牙」になったな。。。。
「親方様,為景様(ためかげ)のご意志をはたそう」。 黒田は覚悟の言葉を落ち着いた視線で城下を見ながら言い放った。

黒滝城の朝は「苛烈」に始まった。

このページにある村山与七郎と「弥彦の村山神社」や村山・山岸兄弟について
黒滝城攻城戦(2)

黒滝城の前に、馬上の若者が腕を組み城を睨んでいる。歳はまだ十六だが、胸板は盛り上がり、体は熊の様に大きく、誠に雄雄しい武者
ぶりである。若者の名は「長尾景虎」といった。後の軍神上杉謙信である。景虎は幼い頃から力が異常なほど強く、4つ上の子と相撲をとって
も負ける事はなかった。喧嘩も滅法強く、喧嘩においては無敗の戦歴を誇り、かなりの乱暴者であった。そのため父偽景が病死したあと、林
泉寺に預けられ、天室光育の教えを受けた。林泉寺に入ってからは、虎千代(景虎の幼名)は嘘の様に変わっていった。以前の様な荒々しさ
は消え、学問に励むようになった。天室光育は虎千代に対して感嘆した。虎千代は綿が水を吸い込むかの様に学問を吸収していくのである。
虎千代は14歳の時に元服し、長尾景虎と改めた。天文13年(1543)、景虎が15歳の時の初陣では華々しい活躍をみせた。 長尾氏に黒田秀
忠が謀反したため、景虎は上杉定実に黒田秀忠を病弱な兄にかわって討伐を命じられ、景虎は総大将として黒滝城を攻めていた。景虎は16
歳といえど大人に勝る威を兼ね備えている。景虎は病弱な兄晴景と違って大将にふさわしい。見事に軍を統率し、兵達は死をいとまない屈強
の兵と化していた。「ものども、突撃じゃあ!」。景虎は雄叫びをあげて敵陣に突撃した。兵達も景虎の後に続く。己の武に自信のある者は、功
名心に燃えて景虎に向けて槍を突き進める。だが、景虎の槍に払いのけられ、もう一度槍を振るおうとした時にはもう遅い。景虎の槍が敵の
甲冑を貫いていた。何人もの男が景虎の槍の前になぎ倒され、敵の功名心は景虎によって跡形も無い程に打ち砕かれた。敵は功名心が破
壊されたかわりに、恐怖感というものが生まれていた。無理も無い。景虎の鬼神の如き働きを見て、恐れを抱くのは当然といってよかった。

「狙うは裏切り者の黒田秀忠の首のみじゃあ。者共我につづけえい!」 「おおう!」

味方の士気は凄まじい程に高まっている。景虎が居る限り戦に負ける事は無いように兵士達には思えた。敵は景虎を見るなり逃げ出すので、
景虎が槍を振るわずとも道ができた。景虎の突撃により敵陣は混乱し、敵は収拾のつかない状態に陥った。謀反した黒田秀忠は、景虎の獅子
奮迅の働きに肝を潰し、退却を始めた。「景虎様、拙者があの黒田秀忠を生け捕りにしてまいりましょう」。自信をおびた太い声で景虎にそう申し
でたのは、柿崎景家という屈強の男だった。この男の名は後に天下に轟き、謙信麾下に並ぶもののない勇将と称えられた天下無双の武士で
ある。景家は余程自分の力に自信があるらしく、退却し始めた敵へ単騎で駆けていった。敵の雑兵の槍が手柄をたてんと景家まっしぐらに突っ
走ってきた。しかし、その槍が景家に届く事はなく、槍は活力を失い、息絶えた。「我こそは柿崎和泉守景家なり。雑兵共には用はない。命が
惜しければ退くがよい!」。 雑兵共の眼には単騎で駆ける景家の勇姿は恐ろしい鬼の様に映った。景家に槍をかすらせた者すらいないので
ある。景家は誰も寄せ付けず、黒田秀忠の本陣めがけて猪突猛進した。黒田秀忠は腕利きの親衛隊(精鋭の護衛部隊)を数十人雇っていたが、
親衛隊は景家に適うはずもなく、一突きにして倒れていった。「我が武、目に焼きつけよ」。この景家という一人の天下無類の豪傑により、敵の
戦意は打ち砕かれた。大将たる者はいかなる時にも動揺してはならない。大将が動揺すると周りの者が動揺してしまい、士気の低下を招く。
黒田秀忠は凡将であったため、顔を真っ青にし、動揺しているのは誰がみても明らかであった。
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●制作のために参考にさせていただいた 資料、文献、書籍、施設、人物、会合など (順不同・敬称略)
燕市立図書館、三条市立図書館、インターネット、 Wikipedia、「燕市史・資料編」、 「郷土史燕」、「県央の人物」、「新にいがた歴史紀行」、
五百川 清:(西川を創る会)、見附市まちづくり協議会、五十嵐 勝(新潟県アマチュア映像フェスティバル)、五十嵐神社(金沢光幸宮司)、
八木神社(石沢功宮司)、戸隠神社(星野和彦宮司)、「戸隠神社の七不思議(著石黒克裕)」、上越市居多神社宮司(花ヶ前盛明宮司)
「上杉謙信」花ヶ前盛明著、弥彦村「春日山専稱寺」(村山神社)住職・新潟市教育相談センター指導主事・藤澤眞璽、光照寺(丸山住職)
上越市春日山城、糸魚川市教育委員会、宝昌寺、糸魚川市徳合自治会、海蔵院(三条市吉田),西明寺(三条市如法寺),如法寺(三条市長嶺)
法圓寺(弥彦村)、福楽寺(三条市井栗)、新潟市白根図書館、新潟市月潟図書館、長野県須坂市村山町194-3黒岩巻夫(コマドウ会)
  国立歴史民俗博物館総合研究大学院教授・史学博士・井原今朝雄、米沢図書館、新潟市立歴史博物館、五十嵐勝也(ハワイ大歴史学部)
 
この 「燕の街んなかの歴史」 のページでは、単に、燕市域や地域に関する身近な話題だけに拘らず、県央に暮らす人々にとって、知識の一環として
「覚え、知っていて楽しいこと、次世代の人に伝え残したい事柄」などの場合、狭い地域の範囲や枠組みを超えて取材や編集をしていることがあります。
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【フリー音楽素材 H/MIX GALLERY 秋山裕和 http://www.hmix.net/】

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